|
劉恭(りゅう きょう、? - 310年)は、中国、五胡十六国時代の前趙(当初の国号は漢)の皇族。劉淵の次子で、生母は張氏で、劉聡の同母兄。字は玄門と伝わる。 ==概要== 父から某王に封じられるが、どこの王かは記されておらず、不詳である。 後に異母長兄の劉和が弟の劉聡によって妻子共々に殺害され、劉聡自らが即位した。だが、劉聡は兄弟の序列を飛び越えて即位したことを忌み嫌って、同母兄・劉恭の殺害を決意した。数日後の夜中に刺客を派遣し、劉恭が寝ている最中に壁の間から突き刺して惨殺した。 生母の張氏は衝撃の余り病に罹り、313年に逝去した。劉聡は、母の張氏に対して光献皇后の称号を贈り、丁重に埋葬した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉恭 (前趙)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|